自分の人生を地獄にしていたのは自分の心でした。

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こんにちは。

世の中には、「悪を行えば裁きで、善を行えば祝福」という、極めてシンプルな法則が働いているということをRAPTさんに教えて頂きました。

そして、そういう目で自分の過去を振り返ってみると、確かにそのような法則が働いていたなと、あれこれと昔のことを思い出しました。

思い出すと言っても、悪いほうの記憶のほうが多いのですが (-_-;)

 

子供のころ同級生と喧嘩をした後、その相手が仲間を連れてきて嫌な目にあわされたことがあります。

また、同級生に嫌な事を言われて、勢い余ってその人の持っている物を傷つけたことがありますが、実はそれが借り物であって、後でその人が持ち主を連れてきて、数人がかりで嫌な目に遭わされたこともあります。

仕事の同僚や先輩が上司の悪口を言っているのに賛同したり、一緒に悪口を言ったために、どのように伝わったのか分かりませんが、他の誰よりもその上司から不興を買ったこともあります。

人から嫌われていると、その「お前嫌いだ」という波長が伝わってきますので、心が苦しくなります。

上司に嫌われた後も一緒に仕事をしなければならなかったので、苦痛で仕方がありませんでしたが、自分が嫌われるようなことをしたからそうなったので、自業自得です。

 

自分が誰かのことを悪く思っていたり、見下していたりすると、その心がいずれは相手に伝わってしまったり、何らかの行動に出て、相手に不快な思いをさせてしまうので、結果的に自分に跳ね返ってきます。 

当たり前のことですが、誰かに害を加えると、巡り巡って自分に跳ね返ってきます。

「罰が当たる」とよく言いますが、自分の悪なる行いで、自分に災いが降りかかってきました。

 

逆に、善いことをすると自分に恵みが返ってくることがありました。

新型コロナが嘘だということをRAPTさんが解き明かしてくださったので、機会があれば人に伝えてきましたが、コロナが嘘だと分かってくれた人からは感謝されました。

それで、最近気付いたのですが、その好意的な心が自分の心に伝わってくると、その場の空気だけ、なんだか軽くなった感じがします。人間関係が常にこのような感じだったら、楽に生きられるだろうし肩もこらないだろうなと思います。

何か物が手に入ったというのではありませんが、人に益を与えることで良いものを頂いた気がします。

 

過去を振り返ると、自分の心に悪があるから不幸が襲い掛かってきたということが分かるのですが、別に意図的に悪を行って生きてきたわけではありません。しかし、性根が悪だから、自分では気づかないうちに、また感情的に悪を行っていました。

誰だって善人になりたいと思っていると思いますし、善い行いをしたいと思っていると思います。私も善い行いをしたいと思っていましたが、同時に善い人と思われたいという思いも抱いていました。

ところが、この人に認められるために善を行うことって、偽善だったんですね。そんなことも知らなかったので、善いことを行うって難しいと感じていました。

そして、自分は悪いことはしていないと思ったり、自分なりに善いことを行っているつもりになっていたのですが、いろいろと災いが来るから落ち込むということもありました。

 

人間関係を良好に保つことが難しく、自分の殻に閉じこもったり、良い人間関係を築くことをあきらめていたと思います。

あれこれとやって上手くいかなかったのは、結局、何が善で何が悪なのか、正しく分別をつけられなかった事が問題でした。

 世の中の常識は、大本教創価学会といった悪魔を拝むカルトに汚染されているので、世の中で身につけた善悪の基準では、正しく善を行えなかったのです。

  

 

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それで、善を行っているつもりで悪を行っていたということが多々ありました。

世の中、コロナ脳なんて言葉がありますが、私は聖書とRAPTさんの御言葉に出会うまではカルト脳に汚染されていて、悪魔的な考えが染みついていたのです。

だから、善を行おうとしても上手くできませんでした。

でも、せっかく生きているので、できれば善を行って祝福を受けて幸せに生きたいじゃないですか。

聖書を読んで、RAPTさんの御言葉を学ぶと、心の中の罪・悪がどんどん見つかって、自分がものすごい悪人だということに気付いてショックを受けて、神様やこれまでに害を加えてしまった方々に対して申し訳ない気持ちになるのですが、落ち込んでいるわけにはいきません。変わらないと神様にも人にも害を加え続けることになります。

それで、罪を悔い改めて心を清める努力をすると、次第に心が楽になっていきました。自分の心を苦しめていたのは、自分の中にある悪だったのです。

 

心を清めるほど、人を傷つけるような思いを抱かなくなりますから、気付かないうちに人に害を加えていたということが減り、自分の悪が原因で起こる災いが減ります。

そして、善を行って人に認められようとすると偽善的になってしまうのですが、神様から恵みがあると思うと、見返りを求める偽善的な心が徐々になくなっていきます。そうすると、次第に承認欲求に苦しむということがなくなっていきます。

 

神様抜きで自分なりに善を行っても期待通りに祝福が来なかったのですが、神様の前で善・義を行うと、自分の間違いに気付いたり、悟ることがあったり、考え方が変わったりという祝福があります。祝福というと、お金とか物が手に入ることのように思われるかもしれません。確かにそういう物は必要ですが、必要な物は与えて頂けますし、不必要な物欲を持っていると欲しい物が手に入らない時に苦しいですから、そのような欲も消していきます。自然に心の中から消えていくと言ったほうが正しいかもしれません。

 

とにかく、自分の考え、心の在り方が悪くて、自分で自分の人生を地獄にしていたことや、カルト脳を捨て去って神様の脳を持つことで、自分の人生を天国のようにすることができるということが分かりました。

この何が本当なのか分からない世の中で、それまで分からなかったことが分かって考えが変わり、人生を変えることができるというのは、今の時代、奇跡ではないでしょうか。

メディアやネット、本を通して、幸せになる方法を探しても、その幸せになる方法を語る人がカルト脳で語り、幸せになっていないのだから、何をどう学んでも幸せになれるはずがありませんでした。

 

世の中がどんどん冷え込んでいくこの時代に、人生を変える方法、喜びと希望を持って生きられる道を示してくださったRAPTさんに出会えたというのは本当に奇跡で、RAPTさんが伝えてくださる御言葉が本当に神業で、神様の言葉だと思うと、本当に感謝で胸がいっぱいになり、心が熱くなります。過去を振り返ると、自分が本当に地獄で生きていたと思います。苦しみの中で神様が差し伸べてくださったその手をしっかりと握り締めて、最後の最後まで神様の道を走りたいと思います。

 

拙い文章で恐縮ですが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

RAPT | RAPT有料記事499(2020年9月21日)主は中心者に地上天国の祝福を与えてくださった。だから、中心者についていく者たちも皆、同じように地上天国の祝福に預かることになるだろう。

 

RAPT | RAPT有料記事498(2020年9月14日)主がこの地に降臨されたということは、この世から全ての悪が消え去ることを意味する。主は私たち義人の中から全ての罪をなくして救い、同時に悪人たちがこれ以上の悪事を働けないように裁かれるだろう。

 

RAPT | RAPT有料記事497(2020年9月12日)主がこの地に強力に臨まれ、今こそ時代の転換が本格的に始まる。善の力が強力にこの世に働き、悪人の支配が終わるだろう。

 

RAPT | RAPT有料記事496(2020年9月6日)主を愛し、人々を愛して救った人が、主からも人々からも愛されて、愛に満ちた天国のような生を生きられる。

 

RAPT | RAPT有料記事495(2020年9月5日)この世の人々はアダムとエバのように間違った愛で愛し合うから不幸になるが、私たちは主から受けた正しい愛で愛し合うから心満たされて幸福になる。