11月11日の祝祭日の証。

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11月11日は祝祭の日でした。

昨日は、吉野川大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)、奥祖谷二重かずら橋、祖谷かずら橋を巡り、紅葉狩りをしてきました。


今は、断食&悔い改め中なので、果たして神様から恵みを受けられるのだろうかという思いはあったのですが、天気に恵まれ、車を走らせ美しい景色を見ながら、沢山の悟りを頂きました。

 

まず、大歩危小歩危から奥祖谷二重かずら橋に向かったのですが、途中に沢山の風光明媚なところがあり、何度も立ち止まっては、写真を撮り、豊かに恵みを頂けそうだと期待しました。

 

しかし、奥祖谷二重かずら橋に到着して、実際に橋を渡ってみたのですが、小さな橋ですからあっという間に終わってしまい、ちょっと拍子抜けしてしまいました。
奥祖谷二重かずら橋とその周辺で写真を撮りながら、祝祭の日にどうして不満がでたのか考えたのですが、「橋を渡る」という人間的な考えで楽しみを得ようとしていたことに気付きました。

そこで、神様から頂くものだけで楽しみを得ようと考えを切り替えることで、紅葉や光り輝く水面、風に舞う落ち葉など、瞬間瞬間の美しい景色から喜びを頂くことができました。もちろん、橋も景色に溶け込んでいい感じでした。

 

不満がでたのは、自分の心の在り方が間違っていたからです。
全て神様が与えてくださるものから喜びを得ようとしてこそ、常に喜んでいられるし、常に感謝して生きられるのだと思いました。

 

その後、祖谷かずら橋に向かう途中でも、神様が見せてくださる美しいものを写真に撮ろうと思いながら車を走らせていると、道路沿いに何気なく生えている紅葉やイチョウが日に照らされて輝いているのが見えましたので、車を止めて堪能してきました。

 

この日は、恵み深く過ごさせて頂き、色々と悟りを頂いた日でした。

この日は、何の問題も起きなかったというわけではなく、明け方、お祈りの山に向かう途中に、突然うさぎが暗闇から飛び出してきて、車の側面にぶつかりました。

 

祝祭の日に幸先が悪いと思い、なぜこんなことが起きたのか、自分に何か問題があるからなのかと色々考えました。
この時は、お祈りしながら運転をしていたのですが、うさぎがぶつかったときは、ちょうど神様以外のことを考えていました。
そして、神様から意識を離すと事故が起きる。常に神様に集中して、1秒も神様から意識を逸らさないようにしてこそ、安全なのだと思いました。
まだまだ、その次元に達していないのですが、もっと神様に集中できるようになって、もっと神様に愛と感謝を捧げようと思いました。
神様が「私だけを見ていなさい。」と仰ってくださった気がして、必ず神様に喜んで頂ける愛を捧げることができるようになろうと決意しました。

 

神様は、私たちに本当に必要なものを与えてくださる方です。
そのように考えると、自分に何か不幸な事が起きても、それは自分に何か間違いがあるからで、神様がそれを知らせるためにそのようにしてくださっているのだと分かるので、心の中に不平不満が湧いてこず、むしろ、なぜそのような事が起きたのか考え、自分の間違いを正していくことができます。

 

神様に出会う前は、不幸な事が起こるとすぐに心に不平不満がたまり、怒りすら湧くことがありました。しかし、神様の世界では、全てのことに意味があり、偶然はないので、問題が起きても自分に問題があるのだから、不平不満がでませんし、他人のせいにすることもありません。
こうして、何が起きても動揺することなく、仮に動揺しても、その後、平安に生きられます。


神様に出会う前と後では、心の在り方が全く違うので、同じことが起きても、受け止め方が全く変わりました。

問題が起きても、自分を正してもっと神様に喜んで頂けるような行いができるように、正しく神様を愛することができるようにと、神様が導いてくださっているのだと思うことができ、その神様の愛の鞭に感謝することができます。
神様の熱い愛に心打たれて、これまでの数々の罪を悔い改め、罪を償うことができるように、神様の願いをかなえて差し上げられる人に成長したいと思いました。

常に感謝し、祈り、1秒も神様から意識を離さないレベルを目指して、努力しようと思いました。

慢心、高慢、偽善など、沢山の罪がこびりついていますが、全ての罪を早く完全になくしてしまいたいです。

神様と、神様の愛を教えてくださったRAPTさんに心から感謝します。またイエス様や牧師先生、数々の義人達に感謝致します。
また、讃美歌を作ってくださっている兄弟姉妹たちに、日々祈ってくださっている兄弟姉妹たちに感謝致します。

ありがとうございます。